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「ミニベロと列車で巡った45日 スリランカ祈りの旅」第2回 ミニベロ2,400kmの旅編

旅の写真家 うえやまあつし氏より寄稿いただいたスリランカでの45日間の旅は、飛行機輪行を無事に終えいよいよ本編へ。


スリランカ人も怖がるコロンボの交通事情

夜が明けるまで空港ロビーで過ごした。テロの影響だろう、小銃を持った軍人がそこかしこにいる。それが逆に安心でもある。夜明けと共に自転車を組み立てた。まず向かうのは、空港から約30キロ南にあるコロンボ。スリランカ最大の街を目指して出発だ。

空港ロビーで泊まり、夜明けとともに組み立て開始。
リアの荷物がキャリアからはみ出してしまう。しっかり縛ってコロンボへ。

2時間ほど走りコロンボ市内に入ってくると、交通量が半端なく多くなる。まずはバスの多さに驚かされる。黒煙を撒き散らし、しかも運転がかなり荒い。乗用車は多少遠慮がちに節度をもって走るがそのまわりをトゥクトゥクが隙間を見つけては水が流れ込むように割り込んでくる。割り込みという概念はなさそうだ。

コロンボのゲストハウスに到着するとマダムが自転車で来たの?信じられないわそんなことを言っている。市内は本当に危ないからコロンボにいる間は移動はバスにしないさいとしっかりと目を見て言われた。たしかに、大通りを走っていると町行く人に、こっちに来いと歩道を進められることが何度となくあった。最初は自転車通行禁止なのかと思っていたが、そうではない。危ないから本道を走るなというアドバイスだったようだ。それくらいコロンボの道路は混沌としている。

「普段スリランカ人は穏やかに見えるけどハンドルを握ると人が変わるんだ」そうスリランカ人が言っていたが本当にそうだ。車間距離は詰める!が鉄則かのようだ。コロンボには延べ6日ほど滞在したが自転車で走り宿に帰ってくると体以上に頭がくたくたになっていた。過酷な道路事情のなかでコロンボ市民は毎日の暮らしを営んでいる。住めば都なのかもしれないが、たいしたものだ。

全土から仏教徒が巡礼にやってくるアヌラーダプラ

コロンボを出発した後、次に目指したのは、およそ200kmほど北上したアヌラーダプラだった。この町は、2500年以上前に栄えたスリランカ最大の都。スリランカ有数のダーガバ(仏舎利塔)が遺跡地区には点在している。このエリアに向かって走っていくと、その沿道にはハスの花を売る屋台が点在している。ここで花を購入し、参拝するダーガバ(仏舎利塔)にお供えするのだ。

遺跡地区に入っていくと、白装束を着て歩いている人が次第に増えてくる。スリランカ全土からバスや車、トゥクトゥクなどに乗り、何日もかけてここまでやってくる巡礼者だ。近くの池で、沐浴をしている人の姿もある。日本人から見ると、決してきれいとは言い難いその水で体を洗い清めてから参拝する人たちだ。

アヌラーダプラ遺跡周辺は大混雑。でも誰もイライラしていない。
近くの池で沐浴してから参拝する人たち。

中心に位置するルワンウェリサーヤ大塔へ行く参道は人で溢れかえっていた。参道の入り口で靴を預ける。ここからは聖域、裸足もしくは靴下で歩かなければならない。砂利の上を歩くこともあるし、昼の暑い時間であれば、ちんちんに焼けた石の上を拷問のように歩かなければならないこともある。スリランカ人からすると赤ちゃんのような足裏の日本人には特に焼けた石の上を歩くのは耐えられない。参拝するなら、朝か夕方を選ぶのがいい。

延々とつながるオレンジの布を信者が運ぶ儀式。布はブッダの袈裟の意味があるそうだ。
その布を大塔に巻いていく。
花も生き生きしているように見える。
お供えの花をもっている人も多い。
子供たちが大塔のまわりで額ずいている。小さな頃からこうして参拝の心を学ぶのだろう。

大塔の周りは一周できるようになっている。参拝は反時計まわりに歩きながらお祈りをする。その外側には座り込み一心に御経を唱え祈る人々の姿もある。彼らの厚い信仰心が、祈りを捧げることで心の壺に満たされいくようだ。その姿を横で見ながら、自分の心の拠り所は一体何なのか。そのことを自問自答せずにはいられなかった。

僧侶の説法を聞く信者たち。こういうシーンを多く見かけた。
参拝者が小さな陶器の器に油を入れて火を灯している。
スリランカは夜になっても参拝にやってくる。線香の柔らかい光が綺麗だ。

何度でも行きたい!ピドゥンガラロック

シーギリヤのある平地にそびえ立つ岩山ピドゥンガラロック。スリランカに行ったことがある人なら、それはシーギリヤロックでしょ!と即座に突っ込みが入るにちがいない。確かにそうだけど、前者も間違っていないのだ。世界遺産にも指定されているシーギリヤロックは、スリランカに来た観光客の90%が訪れる必訪の場所。平原のなかにニョキッとそびて立つ200mくらいの岩山。登ることすら難しそうなこの岩のてっぺんにかつて宮殿が立っていた。

シーギリヤロック。

その大きな岩山を登るルートが整備され観光客がひしめきあうように登るのだ。この頂上に本当に宮殿を建てたのかと思いたくなるような断崖絶壁の岩肌をよじ登っていく。レンガの階段もあるし、後でつけた鉄製の螺旋階段もある。そこそこの急勾配を時間をかけて登っていくと頂上に到着する。平原が先の先まで広がっている。その抜け感に圧倒される。遺跡跡も見事だ。

岩の斜面に歩道が設置されているから登りやすいが、当時はどうしていたのだろう。
中腹にあるライオンの爪の形をした宮殿の入口。
頂上に到着すると、入り組んだ階段が斜面に沿って広がる。断崖絶壁の上にどうやって資材を運んだのか。昔の人はすごい。

シーギリヤロックから見渡す景色は本当に素晴らしいが、シーギリヤロック自体もまた美しい。この景色とシーギリヤロックを同時に見られればどんなに美しいか。それを可能にするのが、ピィドゥンガラロックだ。

ぼくは、どちらにも登ったがピィドゥンガラロックからの景色が圧巻。ご来光を見るために早朝に登り、あまりによかったので、夕日を見るために、また登った。シーギリヤロックほどルートが整備されていないので岩をよじ登る箇所もあるがそのリスクを冒しても行く価値がある。スリランカにいくならぜひ2つとも登ってほしい。

シーギリヤロックを臨むことがことができるピドゥンガラロックの頂上。大きな岩だ。360度見渡すことができる。
上昇気流が舞っているのか、下から上がってくる風がかなりきつい。
美しさに見とれていると下山する頃には誰もいなくなっていた。

そこに象、ここにオオトカゲ。

スリランカは北海道の8割くらいの小さな島国。そのうち全体の10%近い面積が国立公園や自然保護区になっている。そこにたくさんの野生動物が暮らしているのだ。象やクマ、オオトカゲやジャッカル、ワニ、ヒョウをはじめとしたいろんな種類の動物がいるそうだ。テラスや庭ではリスはよく見かけた。お寺の境内にはサルがたくさんいるし田舎では民家の近くにもオオトカゲやクジャクはいる。

国立公園の近くの道路には象に注意の標識がある。さらによく出没する場所には周辺に象がいるから注意せよ!という警告板も。象といえばかわいいイメージがあるが、野生の象はかなり危ないらしい。乗用車くらいなら、転がしてしまうほど力があり、たまにそうした事故が起こるそうだ。出会うのは怖いけれど、ぜひ見てみたい。忠告をもらってばかりで、なかなか会えなかったが、ヤーラ国立公園を縦断する道路でその時はやってきた。

象に注意の道路標識。道端にフンが転がっている。

一直線に伸びる道の先の先に大きな物体がゴロンとあるのが見えた。象だ。向こうからきた車が危ないから気をつけろ!とすれ違いざまに忠告してくれる。ゆ~っくり、じわじわと近づいていく。スピードを出している車も象の姿を見てブレーキを踏んでいる。一旦停止し、徐行しながら象の前を通りぬける。そのときに、持っているフルーツを投げていく。ときどき手で象の鼻に乗せている人もいる。最初、餌付けかなと思っていたが、おなかがすいた象を怒らせないためにすいかやパイナップル、バナナなどを渡しながら通り過ぎるらしい。

バスが襲われている!わけではない。果物を与えている。
たまに象に車が襲われることもあるそう。ご機嫌取りに果物を与えているようだ。

スリランカは、仏教徒が70%を占める。殺生をしないという戒律があるためむやみに虫や動物を殺さない。だから、町には野犬が異常に多い。自転車で走っているときは、毎日のように犬に追いかけられた。

小さい国土にたくさんの生き物が暮らしていると、人と動物のそれぞれの領域が交わってしまうのも当然かもしれない。そこをうまくやりくりしながら共存しているのだろう。だから、町中でオオトカゲやクジャクをみるし象にも出会う。一概に餌付けだと自分たちの常識で決めてしまわないほうがいいようだ。そんなところもスリランカのオリジナリティなのかもしれない。

通り過ぎようとしたら、象が近づいてきて必死のショット。
象が笑っているように見える。

祈る姿は美しい

旅に出る前にイスラム過激派のテロがあったことから、祈りを旅のテーマにしていた。スリランカ国民の70%が仏教徒。そのほかはヒンズー教徒が13%、イスラム教徒が10%、キスリト教徒が7%だ。葬式仏教といわれる日本とは違い、信仰心の厚い人が多い。毎朝どこかからお経が流れてくるし、日本のお地蔵さんのように道路脇に祀られた神様やブッダの前で、車から降りてお参りをしてから仕事にいく人も多く見かけた。

お寺などの宗教施設にいけば御経を読んだり、儀式に参加したりと時間をかけて祈る姿を目にする。4つの宗教のお寺やモスク、教会に何度も足を運んだ。自分が仏教徒であることを名乗ったうえで、旅のこと、スリランカの宗教に興味があることを伝えると歓迎してもらえた。話しをするうちに、写真を撮ることも受け入れてもらえるようになる。コーヒーを出してくれたり、近くのカフェに連れていってくれて、ピザをおごってくれる若い青年もいた。

ヒンズー寺院で祈る男性。木管楽器と太鼓が室内にけたたましく鳴り響く。
五体投地のように、3歩歩いて額ずきながら境内を一周する女性。
ボロボロになった経典を見ながら読経するグル。
早朝から若い女の子も参拝にやってくる。
お経を読み祈る。こちらまで神聖な気持ちになる。マヒヤンガナ寺院にて。
仏教も、ヒンズー教もイスラム教も額ずくのは同じ。

祈る姿をいろんなところで見せてもらったが、祈る姿は神聖だ。無垢な気持ちで祈る姿が神々しくすら見えてくる。何かを信じて生きることの強さと美しさ。テロのことがあったから、祈ることをテーマにしたがぼくが本当に見たかったものはこれなのかもしれない。そんなことを思いながら、祈る姿を撮らせてもらっていた。

小さな子供も手を合わせて歩いている。
仏教徒もヒンズー教徒も参拝する聖地カタラガマにて。
早朝の仏歯寺で瞑想する女性。
メッカの方角に向いて祈る。
イスラム学校の学生たち。
一人静かに祈る男性。

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