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輪界の人脈の輪をたどるインタビュー vol.1 「自転車を楽しむお手伝いをする人」
2023.01.30
折りたたみ自転車やミニベロが好きなら、田口礎太郎さんの名前を知っている人も多いだろう。東京都葛飾区の小径車専門店「サイクルハウスしぶや」に長く勤め、自転車メディアにも登場してきた。だがコロナ禍の2021年、惜しまれながら同店を退職。おそらく多くの人は「独立して自分の店を出すのでは」と考えただろうが、田口さんの選んだ道はその予想とは異なるものだった。近況やこれからの展望について、これまでの歩みとともに語ってもらう。
「売って終わり、買って終わりの時代じゃない」
田口礎太郎さんと小径車との出合いは、田口さんが小学生のころのことだった。
「タイヤの小さい自転車の存在を知って、すぐに夢中になりました。当時は事業を営む父の手伝いで、よく車に乗ってあちこち出かけていたのですが、知らない街で自転車屋さんを見つけるたびに寄ってもらっていました」
中学2年のときに、早くもオーダーバイクを手に入れる。選んだのはハンドメイドバイクメーカーとして知られるケルビムだ。自身も一児の父になった今、田口さんは笑いながら当時を振り返る。
「当時で7万円ぐらいかかったと思いますが、もちろん中学生にはそんなお金はありません。自転車の費用は親が出してくれましたが、今でもよく買ってくれたなと思います」
中学生に7万円は確かに高額だが、その後の田口さんと自転車の関わりを考えれば、それは決して高すぎる投資ではなかったように思える。実際、自転車は田口さんのその後の人生を確かに導くものになっていく。
「技の楽しさからBMXにもハマりましたし、カスタムの奥深さにも目覚めました。そのころから、『いつか自分のお店を出せたら面白そう』と意識していたんです」
自転車技士試験の受験資格は、18歳以上でかつ実務経験が2年以上あること。自転車に携わる仕事に就くという目標が明確だった田口さんは、大学在学中にアルバイトで経験を積み、最速での資格取得を目指した。
大学卒業後は大手自転車ショップを経て、東京都の小径車専門店「サイクルハウスしぶや」に勤め始める。初心者にも、コアなカスタムを求めるユーザーにも親身に応える接客姿勢で多くの来店者の心をつかんできたが、2021年に退職した。
「何かが嫌になったとかいうことではなく、いろいろな経験を積む中で、10年を一区切りにしようと考えるようになっていたんです」
本当は2020年でその10年目を迎えていたのだが、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、同店の体制にも混乱が生じていた。「それを放っておくわけにもいかなかったので」と、当面の見通しが立つまでは在職期間を延長したと言う。田口さんらしい誠実さだが、「10年目の決意」は変わらなかった。しかし、世の中は確実に変わっていた。その変化は田口さんの夢にも影響を与えた。
「コロナ禍には本当にお客さんが来なくなって驚きましたが、それ以前から、人口減少や高齢化が叫ばれる中で、モノを売ったり買ったりするということのあり方を考えるようになっていました。もう売って終わり、買って終わりの時代じゃない。自分のお店を出すことを目標にしてきましたが、それ以外の選択肢を考えてみてもいいんじゃないかなと」
自由で持続可能な楽しみ方を、ソフト面から盛り上げたい
社会情勢を注視しながら模索を続け、迎えた2023年。田口さんの現在の仕事内容をざっと紹介しよう。
まずは自転車ショップの運営・サービスなどについてのアドバイスやマーケティング。また、ブランド小径車のサブスクリプションサービスを立ち上げ前から参画し、現在も携わっている。受注や在庫確認などにはIT技術を活用し、DX化を図りながらシステムを構築した。こちらはなかなか好評で「同じようなサービスがもっと多く立ち上がるかと思っていましたが、今のところ似たコンセプトの事例はほぼないようです。『所有』から『利用』へと意識の変化が進みつつある昨今、時代の流れにいち早く対応できたのがよかったのかなと思います」とにっこりする。
さらにインバウンド向け自転車ツアーの補助や、しまなみ海道で展開するレンタサイクル店の広報支援も行う。自転車関連雑誌で執筆したり、季刊誌の記事撮影に同行したりもする。自身が主催して自転車のメンテナンスや輪行の講習会を開催することもあるし、古巣時代の顧客に「引き続き愛車を見てほしい」と頼まれ、カスタムなどの相談を受けることも。「自転車にまつわるフリーランス」として、多岐にわたる事業を手がけているのだ。
「お店を構えてお客さんを待つというよりは、今よりもっと自由で持続可能な楽しみ方を示したいと思うようになったんです。自転車をソフト面から盛り上げていきたいという思いが強くなって、範囲を狭めず、自転車の世界でできることを探し続けているという感じですね」
田口さんが「ソフト面をサポートしたい」と考えるようになるには、多くの自転車ユーザーを身近で見てきたからこその気付きがあった。
「せっかく自転車を購入しても日常使いの範囲にとどまっていて、あまり遊びに行っていない人が少なくなかった。楽しみ方の提案を潜在的に求めている人は、たぶん僕らが想像している以上に多いんだろうと思っています」
自身も複数のブランドの小径車を所有している田口さん。買い物やカフェに行くなどのちょっとした街乗りから、10~20km程度の自転車散歩、さらに長距離を走る全国各地のツーリングまで。目的に応じて愛車を乗り換えているが、基本的に「楽しさ」を重視しているとのことで、そうした姿勢やちょっとしたコツも伝えていきたいと考えている。
「例えば輪行や遠出のとき、自転車を発送してしまうという方法は、僕にとってはもはやマストです。自分で運ばなければルール違反のように考えている人には、ぜひその思い込みを捨ててほしいです」
子どもを連れて、家族で遠方へ赴きサイクリングをすることもある。チャイルドシートをつければ自転車の重量は増えるし、幼児と自転車の両方を抱えて移動するのはさぞ骨が折れるだろう。荷物を減らすことは、家族みんなが安全に楽しむことにもつながるのだ。
「3辺の和が170cm以下のサイズに収納できる自転車なら、郵便局からでも簡単に発送できます。高速バスなど持ち込み荷物のサイズにシビアな交通手段を使うときにも、折りたたみモデルなら載せてもらえる場合があります。そういう意味でも折りたたみ自転車は本当にお勧めできますし、安心して自転車を預けられるのは日本のいいところだと実感します」
あえて肩書きをつけずに、幅広い「お手伝い」を
自転車の楽しみ方については「自由で持続可能」なことが理想だと語る田口さんだが、それは自身の働き方についても同様だ。フリーランスという形態を選んだときも、「不安がなかったと言ったら嘘になりますが、面白そうだなという気持ちのほうが優っていました。小さいころから何も変わらず、大好きな自転車でずっと遊んでいる感覚。それが仕事になっているんです」と笑う。
場所や時間に縛られることなく、業務内容もフレキシブルに広げていきたい。そう考えたからこそ、実は田口さんは自身に肩書きをつけていない。
「仕事を始めるときには、『アドバイザー』がいいのかな、それとも『コンサルタント』かなとか、いろいろ考えました。でも何かひとつに決めると仕事の幅が制限されそうな気がして。じっくり考えた結果、肩書きはいらないや、となりました」
それでも強いて自身を定義するなら何と呼ぶか。そう尋ねると、田口さんは少し照れながら「自転車を楽しむお手伝いをする人、ですかね」と答えた。
「僕は小さい頃から今もずっと、自転車のとりこです。そんな自分がこれまでの経験を生かしてできることは何か。ショップには『お客さんを自転車のとりこにするため』の、そして自転車ユーザーには『より深く』とりこになってもらうためのアドバイスや情報を、それぞれ提供していければと考えています」
今後も幅広く自由に仕事を作り出していきたいと考えているが、すべての中心になるのはもちろん自転車だ。
前述のDXを始め、変化を続ける市場環境や流通についてなど、さらに学ぶ必要を感じている分野は多い。だが大好きな自転車に関わることだと考えれば苦にならないと言う。語学も必要になるが、自転車先進国であるオランダで暮らしてみたいという夢も教えてくれた。
「この先も自分で自分を縛らずに、できる仕事はもっともっと増やしていきたい。どんな形のビジネスにたどり着くとしてもこの世界から離れることはないと思うし、自転車が好きという気持ちも変わらないでしょう」
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