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愛とグッドバイブスの世界最速メッセンジャー ちかっぱ
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2023.05.12
この世の中、「好き」を仕事にしている人がどれだけいるだろうか。
好きを仕事にすべきか、趣味で楽しむべきか。
議論をしようものなら賛否両論、答えの出なさそうな話ではあるが、自分がこれまで出会った「好きを仕事にしている人」を見て感じることがある。彼らには自分の仕事に対する誇りと熱量、そしてそれらが発する輝きがあるということだ。
2022年、自転車メッセンジャーという仕事に人生を変えられた一人の男が、その仕事の集大成とも言えるレースで自分の人生をさらに塗り変えた。
昨年10月末にニューヨークで開催されたメッセンジャーの世界選手権「CMWC(Cycle Messenger World Championships)」のデリバリーレースで名だたる強豪選手たちを押し退けて優勝したのは、日本人ライダーだ。
彼の名は、ちかっぱ。
福岡の筑豊弁で「ちかっぱとんぴん = とってもお調子者」というようなニュアンスを持つ言葉を由来にしたメッセンジャーネームで、その名の通りの人当たりの良さで、多くの仲間に愛されるグッドガイ。
2009年に、今も伝説として多くのメッセンジャーからリスペクトを集める日本人メッセンジャー・SINOの走りに衝撃を受け、さらに本気でこの仕事にのめり込んだ彼が、キャリア13年にしてとうとうそのSINOと同じ「世界最速」の座を掴み取ったのだ。
メッセンジャー発祥の地であるニューヨークで、念願の世界最速の名を手にしたこの男は、翌月の11月、彼自身が愛してやまないメッセンジャーカルチャーをよりたくさんの人に身近に触れてもらうために、所属のメッセンジャー会社・Courio-Cityがある横浜で、新たなメッセンジャー発信の都市型バイシクルフェスティバル・JCMC (Japan Cycle Messenger Championship) の主催者のひとりとして奔走していた。
メッセンジャーとして大きなキャリアをまたひとつ築いた彼は今、いったい何を思うのか。
CMWC 2022 NYCを終えて〜自分にとってのCMWCとは
-あらためて、CMWC優勝おめでとうございます!世界最速、しかもメッセンジャー発祥の地であるニューヨークのCMWCで行われたデリバリーレースで優勝するなんて、カッコ良すぎますね。
ありがとうございます!長年ずっと挑戦してた念願のタイトルだったので、ちかっぱ嬉しいです。
-その瞬間を振り返って、どうですか?実感ありましたか?
実は今回は予選からほぼノーミスで走れていて、単純に走るスピードで自分より速い選手がいない実感とかもあって、なんとなく手応えはあったんですよ。
この手のレースは、複数あるチェックポイントを自分なりに順番組みながら、各ポイントごとでマニフェスト(指示書)もらって……て感じで進めていくので、自分が実際どの順位にいるのかは最後まで正確にはわからない。
なので、最後のチェックポイントで「次のマニフェスト(指示書)くれ」って動作をしたところで“Over. You finished. You are champion.”って言われて、“Oh,no……”ってなって。もうブワーって。
涙止まらなくて、膝から崩れ落ちたみたいな感じです。泣いてたら、2位の選手、3位の選手も、「おめでとう」ってすぐ来てくれたり、もうみんなが抱きしめてくれたり、自分のことのようにすごい喜んで祝福してくれて。
-そうなんですね。競っていた相手の優勝を素直に喜ぶってところ、やっぱりメッセンジャーって感じがします。
CMWCは、やっぱりメッセンジャーにとってのオリンピックみたいなもので、もうお祭りなんすよね。1週間ぐらいかけて行われるんですけど、その1週間、ずっと楽しいんですよ、とにかく。で、ずっと出てれば、やっぱり同窓会みたいにもなるし、実際は参加者の多くが友達同士だったりするんです。逆に見ない顔だなっていう人は大抵キャリアの浅い選手だってわかっちゃう、ていう。
-ちかっぱさんは、キャリア中ずっとCMWCに続けて挑戦されてたんですか?
2009年に上京して、そこからずっと13年欠かさずに、って訳でもないんですけどね。
モチベーションが上がらない時だったり、お金がなかったりとかで行かなかった時期もありました。
-もしかして旅費ってやっぱり全部自費?
そうなんです。……本気度が伺えるでしょ (笑)?
なので、CMWCのスタートラインに立つ選手は、結構もう、そういう面でもふるいにかけられてる。ハートのレベルも高いんすよね。
-確かに (笑)。
例えば自分だと、ちょうど今の会社に入った時で、新しい街でみんなと遊んでるほうが楽しいし、みたいなのだったりとか、やっぱり海外行くと体調的にもしんどいし、どうせ勝てるか分かんねえし、とか。そうやって理由つけていかない時もあったんですよ。
-なるほど。
でも、行かなかった年も、結果は気になるんですよね。今年は誰が優勝したんだとか。
やっぱり、1位って相当賞賛されるんですよ。めちゃくちゃチヤホヤされて、格好いいし、たとえばプライズのバッグだったりチャリだったり、トロフィーやチャンピオンジャージとか……世界に一つのものがもらえて、本当に格好良くて。「表彰台の上に立ちたいな」というのは、ずっと思ってた。それは初めて出た2009年の東京大会の時からずっと。
それで、なんだかんだその気持ちが忘れられなかった。
そんな感じなんで、CMWCは2009年と2012年に出て、2015年からはまたずっと出てますね。やっぱり1位を取るためには、まず行ってレースに出なきゃっていうのはありますしね。
-開催場所によってはアウェイ感強かったりするんですか?
レース中に自分だけアウェイっていうのはあんまりないかもしれないけど、やっぱり海外で文化が違ったり言葉が通じなかったりという点では、ありますね。
例えば、2019年のジャカルタ大会の時は、『荷物を畳んだり破損させたら失格です』ってルールブックに書いてるのに、荷物の段ボールをぺしゃんこにして、みんな思いっきり畳んでて。そうなると純粋な速さより、カバンに入るだけ入れて、収納名人が誰かを競う大会みたいになっちゃう。しかもそれをどれだけ言っても覆らないんですよ。そういうのって日本人の感覚じゃちょっとないでしょ?
そのときは、日本から行った選手全員が腹を下した状態で予選を迎えるとかもありましたね。現地の水は意識して口に入れてなかったけど、おそらく氷で当たって……。まあそういうのでやられちゃうぐらい、そもそも体がついていかないっていうアウェイ感もありますね。
-また行きたいと思う国とかはありますか?
2018年に行った、ラトビアのリガとかですかね。
-あんまりイメージ湧かないです。
ですよね。自分もCMWCがあるからっていうのでいろんな場所に行ってるだけで、そのまま観光らしい観光に行くことは意外と少ないんですけど、リガは街自体が歴史地区として世界遺産になってて、街並みがめちゃくちゃきれいなんです。で、女の子もきれい (笑)。
-(笑)。
でも、正直開催される場所はあまり関係なくて、本当に行けば結局楽しいんですよね。
行ったら向こうには現地のメッセンジャーが待ってて、「お前の好きな場所、連れてってくれよ」とか付いて行って。「こんな道を走るんだ」みたいなのとか、時には線路の上を自転車かついで渡ったりとか、迷って「どこだここ?」みたいになったり。
友達の家に連れて行ってもらって、いろいろご馳走になったりだとか、そういうのが本当に楽しくて。パリに行ったときも、凱旋門とかエッフェル塔とかはわざわざは見に行かなかったですもんね。結局その街を普通に自転車で走れたらいいっていうか。
-そうやって世界に繋がりができるのは、間違いなく醍醐味ですよね。そんな中、2023年のCMWCはちかっぱさんのホームでもある横浜で念願の開催ということですね?
そうなんですよ!
-ちかっぱさんは、今年9月に開催されるCMWC 2023 Yokohamaの発起人でもあるんですよね?横浜での開催が決定されるまでの道のりはスムーズだったんですか?
全然そんなことないですよ。自分と、あとサンテとラスカルっていう3人が発起人として、2017年ぐらいから動き出したんですけど、最初やろうってなった時は自分たち以外は全員反対っていう感じでした。もう、なんか「3人vsその他全員」みたいな感じで。
CMWCにかける想いと、横浜で開催する意味
-……そうなんですか?
今でこそ本当に多くの仲間がサポートしてくれてるんですけど、実は最初はめちゃくちゃ総スカン食らってたんですよ。
2009年の東京大会の時は、世の中的にもかなりメッセンジャーやいわゆる”ピストバイク”がブームで、それが追い風になっていて京都をはじめとして各地で開催されるメッセンジャーイベントもすごく盛り上がっていて。その上で、あの規模のイベントを指揮するような熱量のある人間もちゃんと東京にいて……っていう感じで「東京でやる理由」みたいなものがしっかりあって、周りも開催に関して反対や疑いを持たなかったと思うんです。
一方で今は、あの時のようなブームはない。個人としてはやりたくても、周りからは「やる意味あるのか?」「本当にできるのか?」みたいなネガティブな意見も多くて。「なんで横浜なの」「何やってんだよ」とか、「勝手に手挙げてんじゃねえよ」みたいなのとか。
で、周りがそうだと自分たちも「いいよ、別に反対する奴らの力は借りねえし」とか喧嘩腰になっちゃって。「自分たちは自分たちで、やりたいやつでやるから」って。……本当にそういうの下手くそで (笑)。
-そうだったんですね……。意外です。
サンテはオーガナイザーとして「まとめる人」、ラスカルはプロモーターとして「伝える人」、自分はプレイヤーとして「走る人」という感じで、3人がミニマムの形だと思って突っ走ってたんですけど、実際やってみると、最初はなかなかうまくいかなかったです。
-ちなみに、CMWCの開催地ってどうやって決まるんですか?レースで良い成績を収めた選手のいる国が優遇されるとか?
開催地候補とレースの結果は、全然関係なくって。レースとはまた違ったタイミングでオープンフォーラムっていうのがあるんです。そこで立候補者がスピーチして、毎回レース後のアフターパーティで2年先の開催地が発表されるんです。多分それもオリンピックとかに近いイメージ。
-スピーチは英語ですよね?
もちろん。
-元々できるんですか?
もちろん、得意じゃないですよ。でも結局、それは「ここ(ハート)次第」かなと(笑)。やっぱり気持ちがないと、ていうのはまずあります。
-じゃあ立候補者の熱量はかなり重要ですね。
もう、人生で一番緊張しましたよ!ただ、オープンフォーラムではもう流れ的に自分が喋るって感じだったから、「よし、俺に言わせてくれ」って。とにかくやりたい気持ちがあるから、それをどうにか、自分の分かる単語で何とか言う。もちろん、その後に英語で質問されるけど、訛りもあったりとかでさらに何言ってるかもわからないんですよ。日本人は自分たち3人しかいないから、顔合わせて、「で、どうする?」みたいな(笑)。
-なかなかのプレッシャーですね。
下手なりに返すと、多分すごい文句とかも言われてるんですけど、それもはっきりは分かんない(笑)。ただ、やりたいっていう。
でも、手を挙げた最初の年のそういうスピーチで何かしら伝わったことがあったから、翌年なんとか受かったのかなっていうのもあったりして。実際、なかなか一発で受かることってないらしいんですよ。
ただ、2009年の東京大会の時だけは特殊で、世界のみんなから日本でやれ、東京でやれって言われて、SINOさんたちが手を挙げて一発で受かったんですけど、今は時代は変わってるし場所も横浜ってなるともちろんそうもいかない。
海外の人は横浜のイメージがない人も多いから、横浜どこだ、みたいなところから始まるんです。何があるんだ、みたいな説明から始めなくちゃいけなくて、その時しゃべったこととかもはっきり覚えてないんですけど「とにかく横浜でやりてえ、お前ら来てくれ!」みたいなことを、気持ちを込めて伝えました。
-2年越しでの開催決定を勝ち取ったとのことですが、途中、諦めなかった?
CMWCの開催が決まれば、それが起爆剤となって、日本のメッセンジャーがあと何年かでも前を向いて進める……それだけを信じて招致活動を続けました。その先どうなるかはCMWCを決めてから考えればいい、CMWCさえあれば何かが動くんじゃないかって信じるようにしてました。とにかく開催を決めてしまおうっていうのは、3人の中で決めてましたね。
あとは、そもそも自分たちの上の世代が格好良すぎたんですよね。やっぱり2009年の東京で見た景色みたいなものは、誰に教えられるとかではなく、受け継がなくちゃいけないな、っていうのはありました。超えたいとかじゃなくて、格好いいから、俺らの世代の色を出してやりたいよね、みたいな。
一方で最初に手を挙げた当時は、日本でメッセンジャーのシーンが停滞しているのは肌で感じていて。とにかくその状況を変えたいし、そのためには、中途半端じゃなくてインパクトのある大きいことをやらないとっていう使命感だけはあったんですよ。その気持ちが発起人の3人は一緒だったかなと。
ヤナケンさん(ちかっぱ氏が所属するCourio-Cityの代表)がサポートしてくれていたっていうのも大きいですね。そういう不器用な自分たちと周りとの関係を取り持ってくれて少しづつ上手く回り出して。
-やっぱりシーンに理解のある方の存在、協力は大きいですよね。
うちの社長は昔からずっとそういうシーンの中にいる人だから、すごく頼りになりました。
-でもそう考えると、昨年11月のプレイベント、JCMC 2022 Yokohama (JCMC=Japan Cycle Messenger Championship)も、赤レンガ倉庫っていう間違いないロケーションで、あれだけ人が集まってたのがすごいですよね?
そうなんですよ。僕たちもあの頃から考えると本当に奇跡だと思ってて。なんにもないところから3人で手を挙げて始めたものが、サポートしてくれる仲間があれだけ増えて。
ヤナケンさんも現場でメガホンを持って走り回ってくれてましたけど、レースの結果も含めてあの日は泣いてましたしね。
でも、個人的にはもうひとつ、どうしても横浜でCMWCをやりたい理由があったんですよね。
-というと?
どうしても「世界一」になりたくて。やっぱり海外に行くのも大変だし、日本開催だったら、アドバンテージあるじゃないですか。言葉の壁もないし、時差もないし、家から通えるし、とか。やっぱ世界一になりたかったんですよ。どうしても。
1位への想いと憧れ
-なるほど。それだけ1位への思いは強かったんですね。
実はこれまでいろんなレースに出て、ここ何年かの国内のイベントでは優勝できることもあったんですけど、それ以上に2位とかあと一歩届かないことが多くて。
1位と2位って、全然違うじゃないですか。やっぱり、そこの差って大きいんですよね。やっぱり1位が欲しかった。
CMWCは、メッセンジャーにとっての集大成で、仕事で頑張ってきた1年間を象徴するように数字で自分の順位が出るわけで。自分だと、仕事もそのためにやってるようなもの。
日々の積み重ねでないものや、実力以上のことは、多分本番で出ないじゃないですか。自分に甘くしてたら、そのくらいの結果しか出ない。
だからこそ毎日、全てそのためにしてたというか。とにかく、ガチこぎしてましたね、毎日。
雨の日も、ガチこぎしてました。全力で仕事して、土日はしっかり休む。アスリートっていうわけではないので、時にはお酒も飲むし、遊びにも行くし、朝まで遊ぶこともある。でも、仕事は仕事。常に全力。どんなやる気ない日でも、雨できつい日も、気分が乗らない日も、その時の全力を出すようにはしてて。
-不安に思うことはなかった?
例えば速い速いって言われても、これまで結果を残してなかったから、もしかしたら自分のやり方が間違ってるんじゃないかっていうのもあるんですよ。
ぶっちゃけやり方に正解があるわけじゃないし、誰かを真似したからって勝てるわけでもない。
-確かに。
そうやって1日1日本気でやってたら、なにかと犠牲になることもある。今まで思えばやっぱり、常にどこかピリピリしてたし、緊張してたし、そこに向かってやってきてたから、精神的にはやっぱりきつかったですね。
ずっと続けてると、体だって20代の時みたいには思うようにいかない。ストレッチしたり整体行ったりとか、睡眠、栄養だったり、そういう部分はしっかりケアしながら、何とかやってきてました。
もちろん、苦しい状況でやってきたからって、チャンピオンになれる保証もない。そもそも自分のためにやってることだから、言い訳もできない。
-本当に念願だったんですね。実際、1位をとっていかがでしたか?
もう、めちゃくちゃチヤホヤされました(笑)。スーパースターかっていう。知らない人からも「酒、おごるよ」とか「これ着てくれよ」とか、いろんなものもらったりとか。人生でそんなにいいことがあっていいのかっていう空気の中にいた気がします。
自分はもう若くもないし、もしかしたら1年後2年後とかだったらいきなり体壊して、スタートラインにすら立てなかったかもしれないし、そういう意味でもギリギリ間に合ったのかな、なんて思ったり。
諦めなかったら、いいことある。本当に、夢って叶うんだなって思いました。
あと、そうやって自分にプレッシャーをかけて挑み続けてきたので、肩が軽くなったというか、楽になりましたね。人生が少し。人にも優しくなれた気がします。
-SINOさん、JURIさんに次ぐ、日本人で3人目とのことですが、彼らに近づいた実感とかはありますか?
どうしても報告したくて、2人ともに会ったんですよ、終わった後に。
そしたら「やったじゃん」って、言ってくれましたね。嬉しかったです。
実は、今回走ってる最中、運も実力も全てが自分に向いてるような感覚で「これ、勝てるかも」っていうのが、なんか見えたんですよね。
だから「勝った時、こんな感じだったんですけどどうでした?」って聞いたんです。そしたら2人とも、「やっぱそうだよね」って。SINOさんもそうだったったし、JURIさんもそういうゾーンに入ってたみたいで。
やっぱ勝つ時は、何が起こっても勝つのかもしれないなって言うふうには思いました。多分、大事なのはそこまでで、そこまで持っていけたらあとはっていうのは、2人とも言ってましたね。
-すごいじゃないですか!共通点。
そうなんですよ。「すげえ、あの二人と仲間になれた!」って。
実は上京当時、どんな芸能人よりも会いたい人がSINOさんだったんですよ。初めて見たときは、本当に「ワアッ!本物や!」って。そのまますぐに「写真撮ってください」って声かけて……2009年の9月23日だったかな、シルバーウィークとかだったと思うんですけど。
-SINOさんへの好き度が伝わる話ですね (笑)。
メッセンジャーを13年間やって、世界戦も8回出て、それでも見とれるレベルのメッセンジャーは、今でも唯一SINOさんだけ。
街でなんとなく格好いいメッセンジャーとか見ても、ああ格好いいな、ぐらいなんですけど、街で見る野生のSINOさんだけは別格。本当にワケわからないぐらいめちゃくちゃ速くてキレてて、格好いい。車よりも速くて、所作ひとつひとつに無駄もない。メッセンジャーとしての、究極形っていうか。何て表現したらいいかわからないんですけど、とにかく視線に入ってから見切れるまで見とれちゃう人は、本当にいまだにSINOさんだけで、間違いなく世界で一番格好いいメッセンジャーだと思います。
だから……肩を並べられたってわけじゃないですけど、なんか胸張ってしゃべれるようになったかも。憧れたSINOさん、ずっと喝を入れ続けてくれたJURIさんに、恩返しっていうか。もちろん、2人のほうが上ですけどね。
……とにかく最高でしたね。一言で言うなら、最高です。
Photo : Masayuki “rocky” Tsuyuki
CMWC 2023 Yokohamaに向けてと、今後の目標
-CMWC 2023 Yokohamaに向けての想い、これからの目標を聞かせてください。
CMWC 2023 Yokohamaに関しては、時間ももうちょっとあることだし、もっと仲間集めて、一つ一つ濃いイベントにしたいですね。たしかにメインはデリバリーレースかもしれないですけど、それだけじゃなくて、どこかで誰もが輝けるようなサブイベントだったりは企画したいなと思ってます。
もちろん、来てくれた人には横浜のいい場所を紹介したいし、ローカルで「誰も知らねえぞ」みたいな所でもいいし……なんか自分たちだからこそ知ってるような一番の場所を紹介したりしたいです。
-楽しみです。
メッセンジャーは体力仕事だから、ちょっと前だと20歳代前半とか働き盛りが多かったけど、時代も変わって今の日本だとだいたい30歳ぐらいが多いんです。もっと言うと、自分たちがそうだったようにそもそも「メッセンジャーのカルチャーに憧れて」……みたいなのは、もうここ何年か、確実に減ってると思います。
でも悲観的なことばかりに目を向ける必要もなくて、この間のJCMCを見てメッセンジャーに憧れましたとか、メッセンジャーになりました、みたいな若い子たちが少しずつ出てきてるんですよね。
-いいですね!やっぱり根っこの部分で、文化を好きになった人間の行動は強いですよね。
この間とか小学4年生の子からDM来ましたよ。イベント行きたいですって。
-小学4年生!すごいですね。
改めて考えてみると、自分がホストっていう立場になるとは思わなかったですけどね。いっつもゲストとして行ってばっかりだったから。でもそういうのを聞いてると、ホスト側はそれはそれで一番感動できるというか、幸せを感じられるポジションなんじゃないかなとも思ったりしてワクワクしてます。
だからこそ終わってみて「成功した」って思えるイベントにしたい。
ちなみに、自分たちにとってイベントの成功が何かっていうと「来た全員が笑顔で帰れる」っていうことなのかなと。
-ご自身もデリバリーレースに参加されるんですよね?
もちろんです!自分が現役のうちにホームタウンで開催できるっていうことにもやっぱり意味があると思ってますし、昨年アウェイで勝って、その上で今回もみんなを出迎えた上で勝てたら、もう文句ないですよね。ディフェンディングチャンピオンとして2連覇を目指します。伝説を、残したいですね!
CMWC 2023 Yokohama
世界中の都市において、自転車で最速のデリバリーを担う“メッセンジャー” の世界大会&フェスティバル『CMWC(Cycle Messenger World Championships)』が2023年9月20日(水)〜9月25日(月)、横浜で待望の開催。CMWCは約40カ国&200都市に存在するというメッセンジャーに加えて、サイクリストや自転車関係者などが集結し、ローカルの人々と数千人規模で開催される国際的サイクルイベント。名所&観光エリアでのレース・アートショー・マーケット・パーティーなど一般の来場者も楽しめるコンテンツが連日にわたって実施され、メインとなる23日(土)・24日(日)には、日本を代表するエンタメ&スポーツ界の聖地・日産スタジアムを舞台にデリバリーレースなどが繰り広げられます。
Instagram : @cmwc2023
ちかっぱ | 宮本康平 (メッセンジャー)
横浜で唯一のメッセンジャー会社・Courio-City所属。メッセンジャー文化を愛し、「CMWC(Cycle Messenger World Championships)2023 Yokohama」の発起人のひとりでもある。同大会においては直近の6大会に連続参戦し、通算8回の出場を経験するベテラン。昨年開催された「CMWC 2022 NYC」のデリバリーレースで、日本人史上3人目&13年ぶりとなる、念願の世界チャンピオンとなった。
Instagram:@chikappa_tonpin
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