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輪界の人脈の輪をたどるインタビュー vol.3 「自転車アイテムブランドのwebデザイナー」

自転車アイテムブランド「moca」や、コラボレーションによるヘルメットプロジェクト「kumoa」など。おしゃれライダーならきっと知っているこれらの製品を展開するのが、関西に拠点を置く「モート商品デザイン」だ。東京都内に暮らす東海林ゆいさんは、リモートワーカーとして同社でwebデザイナーを務めている。小径車はそんな東海林さんの商売道具でもあり、生活必需品でもあり、リフレッシュできる趣味のツールでもある。

 

「自分には何もない」と焦った20代後半

東海林ゆいさんは、両親の仕事の都合で、国際色豊かな幼少期を過ごした。生まれたのはシンガポール。2年間を過ごしたのちにドイツやベルギーにも滞在し、日本に戻ったのは10歳のときだった。

「よく『英語ができるんでしょう?』と言われるのですが……現地校での経験は1年間だけで、主に日本人学校に通っていたので、あいさつ程度しかできないんです(笑)。でも日本の小学校に入ったときには、やっぱりそれまでの学校生活とは違うなというギャップを感じました」

初登校の日には、土足で校舎を歩いて先生に怒られた。また、ヨーロッパの学校では子どもの主体性が重視され、みんな積極的に手を挙げていたという。その感覚で同じように振る舞うと、日本の小学校では浮いてしまうのだと知った。東海林さんは子ども心に、「受け身の授業が多いんだな」と感じたそうだ。

ベルギーのブリュッセル、家族でよく遊びに行った公園にて。 初めて自転車に乗れるようになったのは、その前の滞在国であるドイツだったそう

「海外にいたときは、言葉があまりできない分、相手の目や表情をすごくよく見ていました。それによって『空気を読む力』はついていたんだと思います。帰国してからはより周りに合わせることも覚えて、中学校に上がるころには、すっかり日本になじんでいました」

その後は国内で進学し、貿易関係の仕事に就く。結婚を経て関東から関西へ転居したのち、夫の仕事の都合でオーストリアにも暮らした。華々しい生活に見えるが、東海林さんには割り切れない思いもあったようだ。

「結婚して関西に行くときも仕事を辞めて、引越し先での転職を経験していました。インテリア関係や販売などさまざまな仕事をしていましたが、オーストリアに行くときも再び退職せざるを得ず、『ああ、また私は仕事を辞めるのか』と思ったんです」

当時、東海林さんは27歳。「このままでは自分には何もない、もう時間がない」と焦りを感じていたという。夫に直談判して、日本で手に職をつけたいと単身帰国した。

 

入社後すぐ、営業担当も兼務することに

現在勤めているモート商品デザインには、一度面接に行ったものの、タイミングが合わず不採用になっていた。だが「社風とノリが好きで」あきらめ切れなかった東海林さんは、機会があるごとにアピールを続けていた。欠員が出た際に「役に立ってみせます! 雇ってみてください!」と豪語し、晴れて採用されたのは2008年のことだった。

「入社当時、私のほかはプロダクトとグラフィックのデザイナーしかいませんでした。だからせっかくいいものを作っていても、売るためのノウハウがなくて、『なんで売れへんのやろ?』とみんなで首をひねっていたんです(笑)」

思わず「なんでって、営業してないからですよ!」とツッコミを入れた東海林さん。だったら自分が売ってくる、と奮起した。今では常に名刺を持ち歩いており、気になったお店があればふらりと立ち寄ってセールスをすることもある。話の種になる折りたたみ自転車は、商売道具としても活躍しているという。

押し歩き推奨のカップホルダー(左)やサコッシュ&ずり落ち防止のストラップ(右上)など、自社の「moca」 シリーズを愛用。パンツガード(右下)で白いボトムスでも安心

「自転車散歩の途中で雑貨屋さんに飛び込んだことがきっかけで、自社製品を全国展開してもらえることになった例もあります。台北ショーでは現地のお店にアタックして、カタログを手に、身振り手振りで商談したこともありました」

自分には何もないと焦っていた東海林さんだが、こうした物怖じしないスタンスには、過去の販売職の経験が生きているかもしれない。言葉が通じなくてもコミュニケーションを試みる姿勢には、海外で過ごした時間も影響しているかもしれない。柔らかな物腰からは押し付けがましさは感じられないが、「押すときは押しますよ」と明言する。

「私自身がノリで乗り切っているというか、まずはやってみるタイプ。営業するときも『断られたらどうしよう』などと考えるより、とりあえず話してみて『気軽に試してみてください』と伝えます。それでもしダメだったとしても、まあ、それはそれかなと……」

そのセールストークはまさに、自身を会社に売り込んだときと同じだ。現在はwebデザイナーと営業担当を兼務しながら、宣言どおりしっかり会社の役に立っている。前回登場した秋山さん<過去記事のハイパーリンク入れる?>とも、自転車イベントに営業に行った際に出会った。共に海外経験があることなどから共通の話題が多く、東海林さんの人懐こい性格もあってすぐに仲良くなったそうだ。

 

「これからもずっとこのスタイルで」

社内にはやはり自転車好きが多く、東海林さんも影響を受けてスポーツバイクに親しむようになる。だが、彼女が本格的に自転車の楽しさに目覚めたのは、小径車に出合ってからだったかもしれない。

「現在は帰国している夫がダウンヒルをやっていて、私も誘われたこともありました。でも乗ってみたらとにかく怖くて、『私の楽しみ方はこっちじゃない』と思いました(笑)。ロードバイクでのロングライドにも出かけていましたが、100km近く走るのもつらいし坂道も嫌いだし、もっと楽しく乗りたいと思うようになったんです」

仕事で参加したイベントで、小径車を借りる機会があったのはそんな頃だった。気軽なサイズ感やルックスが、ストイックな乗り方に少し疲れていた東海林さんの心をつかんだ。以来、さまざまなモデルを用途に合わせてカスタムしながら、東海林さんは小径車ライフを楽しんでいる。普段使いはもちろん、輪行でのソロライドもたしなむ。しまなみ海道や茨城県のつくばりんりんロードなどの長距離も、マイペースでのんびり走る。「誰も私の遅さについて来れないのでちょっと寂しい」と冗談めかすが、それでも乗り続けるスタイルを決定づけたのは「子どもの存在」だと語る。

「子どもと一緒じゃなかったら途中でやめていたかもしれないし、ここまで自転車を好きにならなかったかもしれません」

非日常の趣味にとどまらず、小径車が日常生活にぴったりフィットしたことは、東海林さんの自転車愛を深める大きな要因になった。

「例えば子どもと自転車に乗るとき、後ろに乗せてしまうと何かおしゃべりしていてもよく聞こえないんですよね。子ども乗せを前につけたくて、台湾からパーツを取り寄せてもらったこともあります」

工夫した子ども乗せ小径車は「ゆうえんちみたい」と子どもにも好評だった。電動自転車が多数派のママ友コミュニティでも「かっこいいね!」とよくほめられたそうだ。

愛娘と一緒に。自分の体格でもフロントに子ども乗せがつけられるモデルを求めて、それまでの愛車から新たな車種に乗り換えた

今やタイヤの小さな自転車は、完全に東海林さんの生活の一部になった。子育てを支えた愛車は子どもの送迎だけでなく、営業車としても活躍。朝は近所の公園まで自転車散歩をし、森林浴をしてからリモートワークの1日が始まる。自転車散歩の最中や輪行先でも、営業できそうなお店を探す視点は忘れない。東海林さんの仕事とプライベートはなめらかに地続きとなっていて、その両者をつなぐところにごく自然に「自転車」が存在するように見える。ワークライフバランスが叫ばれる昨今、プライベートと仕事を完全に切り離したい人にとっては、それは理想とは違うかもしれない。だが東海林さん自身は、仕事も自転車もすべて含めた今の生活がとても気に入っている。「これからもずっと、このスタイルでやっていけたら」と語った。

 

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