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ボクらは怪しい探検隊!マニアといく自転車散歩vol.6「石垣マニア いなもとかおりさん編」

マニアというのは、大体において怪しい。住宅街の道端にしゃがみこんでいる人がいて、体調でも悪いのかなと思って近づいてみると、マンホールマニアがマンホールの写真を撮っていたりする。ひとん家の石垣をじっと見つめている人がいて、ドロボー集団の下見係の人かも!と思ってするどく睨んだりすると、苔マニアが石垣のすき間に生えているスナゴケを見ているだけだったりする。マニアは怪しいし、紛らわしい。しかしながら、なにかに夢中になっているその姿は、少々うらやましくもある。この連載では、そんな怪しくもうらやましいマニアの方々の案内で、マニアの世界のほんの入口を少しだけ覗いてみたいと思います。

「自転車上手に乗れます」

マニアと行く自転車散歩、第六回目の案内人は石垣マニアのいなもとかおりさん(以下、いなもとさんと書きます)。彼女は大学生の時、友人に誘われてなにげなく訪れた会津若松城を見た瞬間、電気に打たれたかのように城愛に目覚め、大学卒業後はいったん就職して会社員になったものの、会社員の状態では城めぐりの時間がまったく足りないことに気付き、それならいっそ城めぐりを仕事にできないかと一大決心して会社を辞め、そして今や、城めぐりの本を出したり、石垣ツアーガイドとして日本全国を飛び回ったりと、しっかり城めぐりを仕事にしてしまった、マニアの理想像のようなひとである。

そんな彼女に、石垣めぐりの案内をお願いできないかと思って、彼女のHP(いなもとかおりの城HOUSE)から相談のメールを送ってみたところ、すぐにこんな返信が返ってきた。

「まずは、数いる城マニアの中からわたくしを選んでいただき、ありがとうございました。(中略)わたくしペーパードライバーでして。地域を訪れた時や都内であっても城めぐりをする時はレンタサイクルに大変お世話になっております。自転車上手に乗れます」

自転車上手に乗れます……(笑)。なかなか聞かないフレーズだけど、なんだかすごくいい。次に、東京・神奈川エリアでおすすめの石垣スポットを聞いたところ、こんな返事がきた。

「東京・神奈川の石垣めぐりでしたら、だんぜん江戸城(皇居)がおすすめです。各所に当時の石垣が点在しており、江戸城の痕跡探しをテーマにしたツアーの案内もしておりますので得意中の得意です。」

江戸城の痕跡探し!面白そう!!

というわけで今回は、いなもとかおりさんの案内で、都内千代田区およびその周辺に点在する江戸城の痕跡(石垣)を巡ってみる。はたして石垣の魅力とはいったいなんなのか?じっくり探ってみたい。

江戸時代の町人と同じ景色を見る

石垣巡りのスタート地点は、東京駅から歩いて10分ほど、皇居外苑にある和田倉噴水公園の前。ここからぐるっと時計回りに皇居のまわりを走るのが、いなもとさん考案の本日のルートだ。ちなみに今回、彼女に用意した自転車はDAHON「Boardwalk D7」(写真右)。Boardwalk D7を見た瞬間、「カッコいい自転車ですね。もしかして100万円ぐらいするんですか?」といなもとさん。「いや、すいません、もっともっと全然リーズナブルです」。そんな会話を少々交わしたのち、さっそく自転車にまたがり、いなもとさん先導により皇居の方に向かう。

走り出して1分、スッと自転車を降りるいなもとさん。そしてひとこと、「ここが今日の最大のビュースポットです!」。いきなり登場の最大のビュースポットが下の写真。内堀通りから見た桜田巽櫓(さくらだたつみやぐら)。および、はにかんだ笑顔のいなもとさん。桜田巽櫓は、大きな修復作業は何度か行われているものの、基本的な構造は建造当時そのままの「現存櫓」なんだそうだ。「後ろに大きなビルとかなにもなくて、ここからの景色は江戸時代と同じなんです。」といなもとさん。

桜田巽櫓前で記念撮影を済ませたあと、すぐに次の目的地へ向かう。今日のテーマは城ではなく、石垣なのである。

石垣観察のイロハ

内堀通りを日比谷公園の方に向かう途中で、いなもとさんが自転車を止める。「この石垣(写真①)を見てください。それから少し先に行って、お濠(ほり)側の石垣(写真②)も見てください。違うのがわかりますか?」

言われてみると全然違う。①の方は四角い石が比較的整然と積まれていて、②の方は石の形も大きさもバラバラなかんじだ。いなもとさんの説明によると、①は明治39年(1906年)以降に積まれたもので、②の方が築城当時(1603年~1636年)に積まれた江戸城本来の石垣なんだそうだ。

下の地図を見てほしい。上の写真①と②の場所を書き込んでみた。(③は後で出てくるので今は無視してください)

①のすぐ横の大きな道路が内堀通りで、その内堀通りが、お濠を分断するように南北に伸びているのがわかるだろうか。じつは内堀通りは明治39年、日露戦争の戦勝パレードのために造られた道路で、その際、お濠の一部が埋め立てられ、あわせて石垣ごと江戸城の土塁が壊されたんだそうだ。そして、その壊した土塁を補修した跡が、①の石垣というわけだ。間知石(けんちいし)という、四角錐に加工した石を積み上げる、幕末頃から普及した技術が使われている。

そして、②の江戸城本来の石垣だが、こちらは「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」という工法で作られている。お城の石垣は、石の加工の度合いによって大きく三つに分類できるそうで、自然石をそのまま積む「野面積み(のづらづみ)」、石を割ったり削ったりしてある程度加工してから積む「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」、そして石の接合面がぴったり合うように精密に加工してから積む「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」の三つがあるという。

野面積みは、織田信長や武田信玄といった戦国大名が戦(いくさ)ばかりしていた室町時代後半~安土桃山時代に主に用いられていた積み方。この時期以降、日本の石垣づくりの技術はみるみる発達していったそうだ。ついで、関ヶ原の戦い(1600年)のあと、世の中がある程度落ち着いた時期に主流となったのが打込み接ぎ。そして大坂夏の陣(1615年)で豊臣氏が滅び、大きな戦争の心配がなくなった時代に、城の主要部分で使われるようになったのが切込み接ぎだそうだ。

ちなみに江戸城の築城は1603年から1636年にかけて行われたそうで、江戸城では打込み接ぎと切込み接ぎ、二種類の石垣を見ることができる。切込み接ぎの石垣については、「あとでちゃんとしたのが出てきますよ」とのこと。はやく見てみたい。

先に進もう。下の写真は、さきほどの地図で③と書いた場所にある石垣だ。400年ほど前の打込み接ぎ工法で積まれた味わい深い石垣だが、角のところ(黄色の矢印)だけ、石の色も形も違っているのがわかるだろうか。

ぐーっとアップにしてみる。ここだけ石の色がオレンジがかった白色で、石の形もきれいな四角形になっている。

上の写真を見て、「角のところは最近になって補修したんだな。だからきれいなんだな」と思った人も多いかもしれない。だが、それはどうやら違うらしい。

石垣の角の部分は、大きな荷重がかかり、石垣の強度に大きく影響する重要な部分である。そのため、さまざまな工夫が試された結果、最終的にたどり着いたのが、直方体にきれいに整形した石材を、ジェンガのように長・短・長・短と交互に組み合わせる積み方なんだそうだ。

「あの積み方には名前があって、算木積み(さんぎづみ)といいます。算木積みの技術が定着するのは、関ヶ原の戦いがあった1600年前後なんです。小田原城のすぐ近くに石垣山城というのがあって、1590年の築城なんですが、まだ算木積みの技術は萌芽というか未熟な状態なんです。1600年前後にできあがって、そこからどんどん洗練されていく。あの算木積みは、ほぼ完成形だと思います」

さらに、江戸城の算木積みには、大きな特徴があるそうだ。

「算木積みのところだけ白にオレンジを混ぜたような色になってる。あれは花崗岩(かこうがん)を使ってるんです。花崗岩は強度が高いんですね。わざわざ瀬戸内海と紀伊半島から運んできて使ってます。それ以外の黒っぽいところは安山岩(あんざんがん)で、伊豆半島から来ています。富士山が噴火して、出てきた溶岩が固まってできた石ですね。基本は安山岩を使って、角だけ花崗岩を使う。これも江戸城のいくつかの箇所でみられる特徴なんです。」

野面積み(のづらずみ)、打込み接ぎ(うちこみはぎ)、切込み接ぎ(きりこみはぎ)、算木積み(さんぎずみ)。期末テストには必ず出てくるところなので、しっかり覚えておきたい(ウソです)。

日比谷公園で石垣の痕跡を見る

次の目的地の日比谷公園に到着。下の写真は、公園入口の石造りの門柱を指さすいなもとさん。じつはこの門柱、江戸城にかつてあった数寄屋橋門の石を再利用しているのだそうだ。

日比谷公園の中に入ると、植栽のいたるところに、大きな石が転がっている。これらはもとは江戸城の石垣なんだそうだ。さきほどの門柱もそうだが、明治時代になって東京の近代化が進むにつれて、江戸城に使われていた大量の石材は行き場を失っていった。そうした石が日比谷公園には大量に運び込まれ、園内のあちこちに使われているそうだ。

下の写真は、日比谷公園の東の端にある心字池。日中はバードウォッチングの人たちで賑わい、夜は銀座界隈で働く社会人カップルたちが周囲のベンチで抱擁を交わす人気スポットだが、この池はもともとお濠で、すぐ横の小高い丘は江戸城の石垣跡なんだそうだ。

「石垣の上に登りましょう。おもしろいものがあるんです」。いなもとさんにそう言われて、石垣の裏手に回る。裏手から石垣の上に上がれるのだ。下の写真は石垣の裏手の様子。石垣の痕跡らしきものが無造作にコンクリートで固められている。これはこれで、なんだか味わい深い風景だ。

よく見ると、ところどころに石を削ったような痕跡がある(黄色の丸の中)。これは矢穴(やあな)といって、石を切り出す際に楔(くさび)を打ち込んだ痕だそうだ。大きな石の塊に矢穴をあけ、そこに楔を入れてゲンノウ(金槌の一種)で叩くと、パカッと石が割れる。そうやって石切り場から石を切り出していたのである。

これも矢穴。注意深く見ると、いくつも見つかる。

矢穴探しもほどほどに、石垣の上に上がると、さっそく「これ見てください」といなもとさん。石の上にサイコロのイチみたいな印がある。

「こっちも見てください」。ちょっと薄くて見づらいが、よく見るとマスクマンの顔のような印が付いている。

これらは「刻印」といって、石垣づくりに関わった人たちが残した印なんだそうだ。江戸城の築城は「天下普請(てんかぶしん)」といって、徳川幕府の命令によって全国の大名たちが動員されて行われた。各藩には石高に応じて担当区域(丁場)が割り振られ、石材を運び込み、石垣を積むところまでを受け持っていたという。こうした刻印は、「この石垣は自分たちが作りました」という目印であり、さらに当時は、ほかの藩が運んできた石材が盗まれるようなこともあったらしく、刻印には盗難を防ぐ意味合いもあったそうだ。

刻印は、江戸城全体で数千種類あるそうで、どこの藩のものかまったく分からない刻印もたくさんあるらしい。大きな藩の場合は何種類もの刻印を使い分けていたそうだし、なかには不真面目な石工による落書きのようなものも混じっているのだろう。

先ほどのマスクマンの刻印を逆さにして、少し拡大してみた。丸の中に「尾」の文字があるのがわかるだろうか。実はこれ、尾張徳川家の刻印なのである。

虎ノ門で東京400年の歴史を感じる

日比谷公園をあとにして、次の目的地、地下鉄銀座線の虎ノ門駅に向かう。途中、内幸町駅あたりで、いなもとさんが自転車を止めて、面白いものを見せてくれた。

「今、ここにいます。江戸時代、ここはちょうどお濠の上だったんですよ」。そう言って、スマホ画面の下の方をスライドさせると……

江戸時代の地図が表示された。本当だ。お濠の上にいる。

これは「大江戸今昔めぐり」というスマホアプリで、Googleマップと江戸時代の地図を重ね合わせて見比べることができるのだ。

「お濠はなくなったけど、堀幅が踏襲されて現在にも残ってる。これ見てると飽きないんです」。気になる人はぜひ試してみてほしい。

さて、地図にあった元お堀端の道を虎ノ門の方に走っていくと、道端に石垣があった。「ビルを建てるときに出てきた石材を捨てずに展示しているんです」といなもとさん。いいアイデアだ。

せっかくなので自転車を降りて見てみると、刻印があった。臼杵藩(現在の大分県臼杵市)稲葉家の刻印だと、いなもとさんが教えてくれた。わざわざ大分から、ご苦労さまです。

そうこうしているうちに、地下鉄銀座線の虎ノ門駅に到着。自転車をとめて、いなもとさんの案内で文部科学省の入っている中央合同庁舎の方へ行くと、半地下の小さな回廊のようなスペースがある。ここは「江戸城・外堀跡」。いなもとさんお気に入りの石垣スポットである。今から22年前、中央合同庁舎を建てる際の遺跡発掘調査で見つかった石垣を、そのままの状態で保存しているそうなのだ。

さっそく下りてみる。片側には、築城当時の石垣がそのまま展示されている。

ここで石垣についての基礎知識を、もうひとつだけ追加しておきたい。

さきほど、石垣は石の加工度合いによって、野面積み(自然石そのまま)、打込み接ぎ(粗く加工)、切込み接ぎ(精密に加工)の三つに大別できると書いた。じつはそれとは別に、石の積み方によっても二つに分類できる。石を横一列に並べる「布積み(ぬのづみ)」と、大きさの異なる石を不規則に組み合わせる「乱積み(らんずみ)」である。

つまり、石垣は石の形状と積み方の掛け合わせで、次の六つのパターンに分類できるのだ。

ア)野面積み・布積み

イ)野面積み・乱積み

ウ)打込み接ぎ・布積み

エ)打込み接ぎ・乱積み

オ)切込み接ぎ・布積み

カ)切込み接ぎ・乱積み

石垣を見て、「おっ、手の込んだ打込み接ぎの乱積みだな」などと言えるようになったら、もう立派な石垣マニアである。

さて、そこであらためて上の写真の石垣を見てほしい。この石垣は、ア〜カのどれに当てはまるだろうか。(ヒント:目地が横に、なんとなく揃っている)

答えは、ウ)の打込み接ぎ・布積みである。

話は自転車散歩に戻る。下の写真は、お気に入りの石垣スポットにてご満悦のいなもとさん。壁面のタイルは上下で白と黒に貼り分けられているが、黒いタイルの上端が、かつてのお濠の水面の高さを表しているそうだ。なんというか、芸が細かい!

上の写真で彼女が指さしているのが、江戸城の内堀と外堀の地図。ここまでのルートを書き入れてみた。のび太くんが書く宝の地図みたいになってしまった。

江戸城・外堀跡から見上げるようにして撮った風景。左側のレンガ造りの建物は旧文部省庁舎。登録有形文化財にも指定されている名建築で、昭和7年(1932年)築。右側が中央合同庁舎で、平成19年(2007年)築。そして、石垣が寛永13年(1636年)築。東京の400年の歴史が集約された場所である。

虎ノ門駅にはもう一カ所、おすすめの石垣スポットがあるというので、そちらに向かう。下の写真で、いなもとさんが指さしているのは、当時の江戸城外堀の石垣のラインを示す石板。この石板だが、説明書きなどはどこにもなく、いなもとさんもその意味に気づいた瞬間、とても興奮したそうだ。この石板をたどった先に、もうひとつの石垣スポットがある。

こちらが、虎ノ門駅にある第二の石垣スポット「虎ノ門見附・江戸城外堀跡地下展示室」。虎ノ門駅11番出口の階段の途中に入口があり、エスカレーターに乗るとたどり着けないマル秘スポットである。

中に入る。奥の開口部から、石垣が絵のように見えるつくりになっている。ここも先ほどと同じように黒いタイルが使われていて、お濠の水面の高さがわかるようになっている。

石垣に近づいてみる。いなもとさんの説明によると、正面と左側の石垣は当時のものがそのまま残っていて、右上の部分だけ、東京駅付近で発掘された石垣を使って補修しているそうだ。

石垣をじっくり見ると、車の初心者マークのような刻印がいくつも見つかる。この刻印は矢筈(やはず)といって、佐伯藩(現在の大分県佐伯市)の毛利氏の刻印だそうだ。

展示パネルでは、石垣の運搬方法なども詳しく図解されている。石垣の運搬は足軽も行ったそうだ。戦のときは槍や刀を持って戦い、戦が終わると巨大な石を運ぶ。なかなか大変な身分である。

赤坂見附で切り込み接ぎと打込み接ぎを見比べる

虎ノ門駅から時計回りに外堀通りを走ると、すぐに赤坂見附の交差点がある。地名が示すように、ここにはかつて赤坂御門という見張りの番所があり、現在も立派な石垣が史跡として残っている。江戸城の築城は1603年に始まり1636年に終わったが、このあたりの石垣は、最終盤の1636年、日本の石垣技術が最高潮に達した時代に築かれたものなんだそうだ。1615年の武家諸法度と一国一城令により新しい城の建設が禁止され、これ以降、石垣づくりの技術は徐々に廃れていく。というわけで、さっそく石垣文化黄金期の石垣を見ていこう。

これが赤坂見附跡。大きな石垣の右隣の石垣①と、金網の向こう側の石垣②が、ここでの観察ターゲットだ。

まずは①の石垣。ようやく登場した「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」の石垣である。「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」の石垣と違って、石と石の接合面がぴったり揃っているのが特徴である。

柵があって近づけないので、スマホの望遠モードで撮影。真ん中に六角形の石がある。「美しく見せたいのか、時間が余っていたのかわからない。この頃から石垣のデザインに遊びが出てくる」といなもとさん。

矢印の石に注目。大地震で石に亀裂が入ったわけではない。すき間にぴったり合うように加工された石がはめ込まれているのだ。

石の表面に細かな模様がある。これは「はつり仕上げ」といって、石工さんがノミで丁寧に石に化粧を施しているのだそうだ。

次に金網越しに②の石垣を見る。すぐに、古代人が描いた太陽と巨大なアリのような刻印を発見。「福岡藩黒田家の刻印です」といなもとさん。なんでも知ってるいなもとさんだ。

金網越しに刻印を探していると、いなもとさんが「少し先に、おすすめの石垣観察ポイントがあるんです」という。長いあいだ金網越しにしか見られなかった②の石垣だが、数年前にガーデンテラス紀尾井町という商業ビルができ、そこの遊歩道に下りると、真正面から②の石垣が見られるそうなのだ。

これがその遊歩道。下りた先に②の石垣がある。

遊歩道から石垣を見つめるいなもとさん。こちらの石垣は打込み接ぎだ。切込み接ぎの技術が普及したあとも、打込み接ぎで積まれた石垣は多いという。端正に整えられた切込み接ぎもいいが、野趣あふれる打込み接ぎの石垣も悪くない、というか、こっちの方が味わい深くて好きかもしれない。

石の表面をよく見ると、細長い筋が石全体に刻まれている。これは「すだれ仕上げ」。さきほどの「はつり仕上げ」と同様、これも石工さんが施した化粧なのだそうだ。

少し離れた橋の上から、②の石垣を見る。下のお濠は弁慶濠(外堀の一部)。首都高の緑の案内標識の後ろに、先ほどの赤坂見附跡がある。こうして見ると、赤坂見附跡の真下に首都高がもぐり込んでいるのがわかる。トンネルを掘るとき、よくまあ石垣が崩れなかったものだ。

打込み接ぎの石垣にズームイン。角には算木積みも見える。石垣と首都高の取り合わせがなんだかおもしろい。

橋の上から弁慶濠の反対側を撮った写真。江戸時代に造られたお濠が、現代の東京の風景にすっぽりなじんでいるのが、なんだか不思議だ。右側の浮桟橋は「弁慶フィッシングクラブ」というお店が運営する釣り堀になっている。料金は大人30分520円。貸し竿もあるので、手ぶらで釣りが楽しめる。

石垣は永遠ではないのだ

今回の自転車散歩は所要時間3時間ほどを予定していたが、赤坂見附の時点で、すでに3時間が過ぎてしまった。なので、ここからは駆け足モードで話を進める。次の目的地はJR四ツ谷駅だ。

赤坂見附のすぐ北側に、清水谷公園という公園があり、そこには玉川上水で使われていた巨大な石枡が展示されている。これも江戸時代初期の歴史遺産である。いなもとさんはこの石枡が大好きで、玉川上水の始まりから終わりまで歩いた話なども聞いたのだが、石垣ではないので今回は説明を省く。いなもとさん、ごめんなさい。

赤坂見附からJR四ツ谷駅へ、真田濠の土塁の上の砂利道を疾走するいなもとさん。自転車上手だ!

土塁の上から見た真田濠。信濃上田藩の真田信之が堀割工事を担当したことが、その名の由来とされているが、実は大勢いた工事担当者のうちの一家だったらしい。今は埋め立てられて、上智大学のグラウンドになっている。斜面に植えられた松の木の形がさまざまで味わい深い。

JR四ツ谷駅に到着。中央線と総武線の線路が見えるが、これも外堀跡だ。「この電車に乗る時は、お濠の底を走ってる~とか思いながらウキウキしてるんです」といなもとさん。

下の写真は、四ツ谷駅前にある四ツ谷見附跡。いなもとさんの見立てでは、この石垣は赤坂見附跡の石垣とは違い、明治以降に積み直されている可能性が高いらしい。石と石の間がコンクリートで固められているし、なによりところどころ、縦に目地が通っているからだという(黄色の線で示した部分)。

「石垣は縦に目地を通してはいけない。崩落の一番の引き金になるので。江戸時代の人は、こうは積まない」。さらにいなもとさんの説明は続く。「2016年の熊本地震の時も、清正の時代の石垣は崩れていない。近代に修復したところが崩落した。石垣の技術は、完全に江戸時代の人に負けているんです」。ちょっぴりお怒りモードのいなもとさんである。

四ツ谷駅をあとにして、靖国神社の前を通り、九段下を右折して、本日の最終目的地の清水門に到着。ここに江戸城の石垣の現状がよくわかる場所があるという。気になる。早く見たい。

清水門は1657年の明暦の大火で焼失し、その翌年に再建されたものが、そのまま残っている現存門だそうだ。清水門もたくさんの物語をもつ歴史遺産だが、今回はそこには触れず、門をくぐった正面にある石垣について書く。

これがその石垣。もこっとはらんでいるのがわかるだろうか。写真には写っていないが、手前には「近づくな!危険!」という立て札も立っている。なんだかやばそうな雰囲気だ。

いなもとさんのレクチャーが始まる。

「石垣って、塀とか櫓とか、上に建物がある前提で造られていて、建物がないと地面から結構水が入って、水圧や度重なる地震の揺れで、どんどんはらんできて、いずれ崩壊する。だからその前に修繕しないといけないんですけど、現状、修繕が全然追いついていない。次に大きな地震が来たら、江戸城の石垣はかなりやばいんです」

最近は線状降水帯の影響もあって、石垣がはらむスピードは全国的に以前より早くなっているそうだ。

「江戸城の天守を再建しようという意見の方もいらっしゃるんですけど、それよりも先に、今ある石垣の修繕にお金を使ってほしいんですよね」

いなもとさんの切実な願いである。

最後に

清水門にて、今回の自転車散歩はおしまいとなる。野面積み、打込み接ぎ、切込み接ぎ、算木積み、刻印などなど、数時間前にはまったく知らなかった石垣用語も習得し、とても有意義な時間であった。

最後になるが、ひとつ大切な情報を紹介しておきたい。下の写真で、いなもとさんが手にしているのは、昨年の夏に発売され、ただいま絶賛販売中の、いなもとさん原作のイラストエッセイ本『城めぐりは一生の楽しみ』。彼女の処女作である。すごくわかりやすくて、すごく面白いので、今回の記事を読んで「石垣っておもしろそうだなー」と思った方は、ぜひ読んでみてください。一生楽しめます!

以上、マニアといく自転車散歩石垣マニア編でした。いなもとさん、長時間ありがとうございました~。

参考Link:いなもとかおりさんのHP「いなもとかおりの城HOUSE」

https://castle-trip.namaste.jp/

参考Link:いなもとかおりさんのX(@tyome_no_heya)

https://x.com/tyome_no_heya

おまけの一枚。竹橋駅近くの平川濠の前をBoardwalk D7に乗って走るいなもとさん。味わい深い石垣の前で、自転車散歩らしいいい写真が撮れたと思っていたのに、逆光で石垣が見えない写真になってしまった。残念!

[今回の自転車のルートマップ]

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萩原淳

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